清水国治の現代俳画


 ■評論 (「吟遊」第14号)

あいまいさへの一撃 

長谷川 裕

  

 俳画の定義については諸説があるが、一般的には俳句を配した軽い筆致の草画、すなわち俳句の記された簡略な水墨画、淡彩画を指す。その画風は余白を重視し、あえて稚拙な筆致をよしとする。画面の大半を占める余白のなかで、滲んで輪郭のぼやけた筆づかいは、余白と対象の境界をあいまいにし、想像力の広がる余地を生む。俳画の特徴はこのあいまいさにある。最近では、インターネットの海外サイトにも、この様式に習った「俳画」が散見されるようになったが、少なからぬ海外俳人が、そのあいまいさの中に「日本的なるもの」を見いだし、魅力を感じているようだ。

 

 精緻に描かれた水墨画や花鳥図は、その絵に対する知識抜きにその前に立っても、それなりにその世界から受け取るものがあるのに、あの種の「俳画」が、どうにも響いてこないのはなぜなのか。技量の貧しさ、旧態依然たるモチーフ、そこに投入されたエネルギーの乏しさはさておき、その最たる理由を考えると、紙上に配された俳句と画の関係があいまいなまま放置され、つきつめられていないからではないか。おおかたの「俳画」に優れた表現ならかならず感じられるはずの緊張感が欠落しているのは、そのためだ。もし、俳画が独自の表現様式として成立するのであれば、それは文字を説明するための画でもなく、画を支えるための文字でもあるまい。文字と画が厳しく斬りむすぶなかから、俳画独自の印象を生み出す様式のはずだ。残念ながらそうした俳画はまだ現れていない。それが私の従来の俳画にたいする認識だった。

 

 ところが、インターネット上の個人サイト「see haiku here」に展示されている清水国治氏の俳画は、私がこれまで抱いていた俳画に対するネガティブなイメージをあっさりと打ち砕いた。それはまったく新しい俳画スタイルの提案だ。

 

 「see haiku here」を見るといい。そこには新しい風が吹いている。ここに展示されているデジタル俳画は、従来の俳画のイメージとはまったく異なるものだ。画面はグラフィックデザイン的なポスターやグリーティングカードを思わせるタッチで構成されており、英文、和文の両方にまたがる文字は、筆書きではなく、多様なフォントが駆使される。ひとつのパターンに終始せず、きわめてバラエティに富み、画面は三角形あり、長方形あり、円あり、楕円ありとさまざまで、ロゴの配置も多種多様だ。ときにグラデーションで、ときにベタ塗りで彩色される鮮やかな色彩は万華鏡のそれだ。このサイトはあたかも玩具箱をひっくり返したような楽しさに満ちている。

 

 デジタル画像ソフトを駆使して制作されたこの俳画は、これまでの俳画的はぐらかしを排し、新しいモチーフ、テーマに果敢に挑み、21世紀の俳画を提案している。そこには心地よい緊張感がある。さんざん使いふるされた俳画の「日本的」なるものによりかかろうとしないそのスタンスはいさぎよく、清新だ。

 

 清水国治氏は1949年、奈良生まれ。ハワイ大学で美術を学び、帰国後、グラフィックデザイナーとして、書籍の装丁から展覧会のディスプレイまで、さまざまな分野で活躍されている。氏は十数年前から画像ソフトを用い、世界の俳句を素材にしてデジタル画像の俳画を作るコラボレーションの試みをはじめ、その作品群を上記の「see haiku here」で公開している。

 

 清水俳画の第一の特徴は、とりあげた俳句を徹底して具体的かつわかりやすく描くことだ。俳句を画像に具体化する作業が容易ではないことは、画業と無縁の私にも想像できる。絵をより具体化すればするほど、その解釈が句意から遠ざかるリスクがあるし、また、いかに句意に忠実でも、説明に終始すると、今度は画として単なる「絵解き」に陥りかねない。このリスクを回避すべく、色彩やフォルムだけによる抽象化という手もないではないが(いわゆる俳画なるものの、余白が大事とか稚拙を旨とするという手法は関係性をぼやかすという点で同じだ)、清水氏はけっしてそうしたはぐらかしに逃げ込もうとはしない。それでは旧俳画の甘えてきた「日本的な手法」と、しょせん同じことになってしまう。その画風はおだやかで調和的だが、作画姿勢はいたってアグレッシブなのである。

 

 第二の特徴は、その乾いた透明な空気感だ。私は初めて清水氏の俳画に接したとき、なぜかメキシコ中央高原の空気を思いだした。作家アルフォンソ・レイエスが『アナワック展望』のなかで「輪郭全体に調和がある。光り輝くエーテルの中で、全てが皆、各々競い合って浮かび上がる」と記したように、メキシコ中央高原は透明な光に満ちている。そこではあらゆる事物の輪郭が明瞭である。雨期の驟雨が過ぎたあとなど、雲は雲として空の青に紛れることなく、盆地を囲む山々は稜線をくっきりとさせ、あくまで空との妥協を拒む。清水俳画にはこの乾いた空気が流れている。それはアメリカ西海岸、カリフォルニアあたりともあい通じるものであろう。

 

 氏のデジタル俳画を充たしている空気、光と影のありようは、日本の現代俳句に求めて得がたいものだ。日本的な湿度から遠く離れ、どこまでも歩いていけそうな、その軽快な空気感は、停滞して澱んだいまの日本俳句の空気に対する無言の批判といえよう。私の下手な文章でくどくど説明しても、清水俳画の斬新さはその一割も伝わるまい。百聞は一見に如かずである。「see haiku here」をぜひ覗いてみることをお勧めする。

 

2021年3月1日:インドのバンガロールで開催された短編小説コンテスト(One Page Spotlight Short Story Contestで私の短編小説が一位になりました。

2016年9月:俳画集が次の施設の蔵書になりました。C.Laen.Chun Library at Asia Art Museum(サンフランシスコ)、poets house (ニューヨーク市)、The British Library (大英図書館、ロンドン)

2015年12月24日:第18回長塚節文学賞で私の短編小説が佳作賞をいただきました。

2015年12月22日:Mediumに俳文を掲載しました。

2015年11月2日:スロベニアのAlenka Zormanさんのフェイスブックで私の俳画集を紹介していただきました。

2015年11月1日:Brooks Books Haikuのウェブサイトで私の俳画集が紹介されました。